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Morihiro Profile

1969年 東京生まれ。小学校時代に作曲を始める。
父と母は、ギター教室で出会ったんだ。そういう家庭だったから、音楽を自然に楽しむってことが小さい頃から身についていた。家に、カラヤン指揮ベルリンフィルのLPレコードや、和声学や対位法の教科書があって、小学生の頃から親しんでいた。こう表現すると、なんか英才教育みたいに聞こえてしまうけれど、そういうニュアンスではなくて、本当に、楽しんで触れていたんだ。
ただ、演奏家としての才能があったとは到底思えない。フルートやギターのレッスンは受けたけれど、今思い返すと恥ずかしいくらい、ろくに上達しなかった。早い話が、器用ではなかったんだと思う。

1986年 アルバム「失われた時を求めて」を発表
「失われた時を求めて」を制作したのは、高校生のときだったけれど、それまでも10曲以上のレコーディングをやっていた。まだ家庭用には、コンピュータはおろか、デジタルシンセサイザーもマルチトラックレコーダーもない時代さ。父がプレゼントしてくれた4トラックのミキサーと、父がオーディオマニアだったために持っていたカセットデッキを2台使って、ピンポン録音していた。今から思うと、気の遠くなるような話さ。夏休み、暑いのに窓を締めきって、一曲を仕上げるために文字通り寝食を忘れて何日間も没頭していた。
楽器も今のようにオールインワン・シンセなんていう安直な代物は無かったから、雑木林から拾ってきた木の枝をナイフで削って、それで新聞紙の束を叩いて「スネアドラム」、金属製の譜面台をたたいて「ハイハット」なんて感じでやっていた。今、思い返せば素晴らしい創造力だね。

 1993年 大学卒業後 福岡へ移住
大学でサークルに入って、エレキギターを買い、初めて本物のバンドっていう奴をやった。でもその時の気持ちを正直に言えば、楽しさよりもあせりと挫折感が先行していたように思う。学園祭のために4−5曲仕上げる事さえ、決して器用ではない自分にとっては、授業そっちのけで頑張っても難題だった。しかも、まわりの連中が、これまた信じられないくらいうまいんだ。それまでは、プロのミュージシャンになりたい、なんてアタマの片隅で思っていたけれど、ここで完全に打ちのめされて、結局、普通に就職したというわけ。

2000年 アルバム「Teenage Dreams」を発表
福岡でも最初のうち、会社の同僚をバンドをやったりしていたけれど、やはり仕事も多忙だったり転勤などもあり、結局音楽制作とは疎遠な生活になっていった。ただ、もうすぐ21世紀がやってくるという時に、学生時代に作詞作曲していたメモを、なんとかしてまとめたいと思った。幸いにして、90年代に音楽制作の技術は格段に進化し、デジタルシンセ・MTR等・PCシーケンサー等便利なものが普通の値段で買えるようになった。そんなわけで、仕事の合間にこつこつと作業して制作したのが、このアルバムだ。

2001年 東京へ移住、Morihiro Music Portalをスタート
2004年 アルバム「Memories of KME」を発表
8年間の福岡での生活にピリオドを打ったとき、自分の中で何らかの総括をしなければならないという気持ちがあった。そしてそのひとつが、Morihiro Music Portal を立ち上げたことだった。もうひとつが、アルバム「Memories of KME」の発表だった。最初、アルバムタイトルは、「Life in a Small Town」にするつもりだった。確かに、僕が福岡に行ったのはビジネスのためだし、思い出の多くはそのビジネスの舞台だったKME(注:Kyushu Matsushita Electric - 九州松下電器)に関わるものであったことは間違いない。それでも、その名前をアルバムタイトルにするのをためらっていたのは、福岡に残ってまだ頑張っている元同僚たちの感情に配慮したかったんだ。ところが、カーク(注:Kirk Nakamura - 松下電器社長 中村邦夫)のおかげで、自分が勤めていたKMEは、文字通り、自分だけではなく本当に誰にとっても思い出になってしまったんだ。企業経営者の立場としては仕方ない選択肢だったというのは理解できるから、ここでは論評しないけどね。ただ、それを聞いた時、僕は自分のアルバムに堂々と「Memories of KME」というタイトルをつける決心を固めたというわけさ。
 
この先どうしていったら良いのか、正直少し途方にくれているんだ。東京に来て3年になるけれど、この街は、少なくとも自分にとってはアーティスティックな気持ちをかきたててくれるものなど見当たらない。刹那的にすぎていく日常があるだけさ。人生がビジネス一色ならば、それでいいのかもしれないけれど。
ただ、こんな気持ちになったのは初めてじゃない。例えば、イギリスで暮らしていた、Silent Crisis の頃も同じような気持ちだったのかもしれない。だから、きっと、なんとかするさ、と思ってはいるけどね。きっと。
(2004年11月)


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